「風に鳴る樹」(かぜになるき)

(初出・・・昭和38年9月23日〜39年9月25日「東京新聞」)
(刊行社・・六興出版上下)
(分類・・・小説)


(写真)風に鳴る樹
 海音寺氏は、当初、長編小説『日本』を上・中・下の三部作としてまとめる予定であったが、第二部『火の山』を執筆した後、構成的に三部作での完成は不可能であると考えた。
 海音寺氏は、そのことについて次のように書いている。

「二本の銀杏」がすむと、すぐ第二部の「火の山」を書くことになりました。これも評判は悪くなかったようですが、私としては準備不足を感ぜずにいられませんでした。何よりも構成をあやまったという感が終始つきまといました。
(朝日新聞社刊「海音寺潮五郎全集第10巻あとがきより抜粋)

 このように三部作での完成が難しくなった『日本』を、海音寺氏は改めて構成し直し、全五部作への転換を考えた。そして執筆したのが、『日本』の第三部にあたる本作『風に鳴る樹』である。
 前二作(『二本の銀杏』、『火の山』)では、薩摩の赤塚郷が物語の中心地となっていたが、本作『風に鳴る樹』は、薩摩から遠く離れた京都が舞台となっている。
 公家の近衛忠熈(このえただひろ)の夫人・郁子に仕えていた北郷隼人介の娘・お芳を中心に、様々な人間模様を織り交ぜながら物語は展開していく。
 また、物語の後半部分では、薩摩藩のお家騒動「お由羅騒動」の真相究明も行われており、幕末の薩摩藩史に興味がある人間にとっては大変嬉しい。
 ただ、海音寺氏はこの『風に鳴る樹』がどうも気に入らなかったようである。新聞連載終了後も単行本刊行の話を断り続け、海音寺氏自身、構想を新たにして書き直さなければ物にならないという方に気が向いていると述べられている。
 しかしながら、その海音寺氏の構想はついに叶う事がなかった。
 昭和52年11月19日、海音寺氏は突然の脳出血のため意識不明に陥り、12月1日、帰らぬ人になったのである。
 海音寺氏は、そのライフワークであった長編史伝『西郷隆盛』を完結させて後、『日本』の完成に力を注ごうと考えていたのだが、突然の死により、『日本』という長編小説の壮大な構想は、『西郷隆盛』と同じく未完に終わってしまったのである。
 このように海音寺氏の念願はついに叶わなかったものの、『二本の銀杏』に始まり、本作『風に鳴る樹』で終わったこの三連作は、海音寺氏の代表作として、後世に語り継がれるものであろう。


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