宮崎県総合博物館(宮崎県宮崎市)



第二十一話「西郷隆盛の新発見書状」
 宮崎県の県総合博物館において、平成20年2月9日から3月16日まで開催された「やってきたきた県北調査展」という展示会の中で、西郷隆盛の新発見書状が公開されました。
 ただ、新発見と言っても、その書状の内容は『西郷隆盛全集』等の史料集に収録されているものなのですが、原資料の存在が不明であったものが、昨年宮崎市内で見つかったという意味において新発見ということです。
 この書状を保管されていた鹿児島出身の所蔵者のご子孫が宮崎市内に在住されていたことから、その所在が明らかとなるきっかけとなったのですが、現在その書状は所蔵者から宮崎県総合博物館に寄贈され、博物館の収蔵品となっています。
 公開された西郷隆盛の新発見書状は、明治8(1875)年1月6日付けで、西郷隆盛が篠原国幹に宛てたもので、内容は以下の通りです。


両三日は拝眉能わず候得共、弥以て御壮栄恐賀奉り候。陳れば下士官免官の一条竹下氏登京の節、尚又申し遣わし候処、返答相達申し候。就いては不頓着の県庁故、達書夫形相置き候事共にてはこれある間敷や、御糾し見下されたく、若し相見えず候わば、名書の内免官これなき分は――此の通り御引き置き下されたく、早速返事申し遣わすべく候。小弟にも野屋敷へ参り居り候に付き、明晩帰家致すべく候。其の内御調べ下されたく希い奉り候。頓首

正月六日
西郷吉之助
篠原冬一郎様
(『西郷隆盛全集 第三巻』より抜粋)

(現代語訳by tsubu)
ここ二、三日はお会いすることが叶いませんでしたが、いよいよご壮健のこととお慶び申し上げます。さて、鹿児島に帰郷した下士官達の免官のことについてですが、竹下氏が東京に行った際、大山弥助(後の大山巌)に対して手紙を言付けたのですが、その返事がようやく返って参りました。ついては、どうもいい加減な鹿児島県庁のことですから、政府よりの達書が届いているにもかかわらず、そのまま捨て置かれているのではないでしょうか。この件につきまして、是非県庁に問い合わせをして頂き、もしもまだ達書が届いていないようでしたら、未だ免官されていない者については、このように――線引きしてお知らせ頂きたいと考えております。私は現在野屋敷に起居しておりますが、明晩には帰宅します。前記の件につきましては、お調べ頂きますようお願いいたします。
正月六日
西郷吉之助(隆盛)
篠原冬一郎(国幹)様



 現代語訳に関しては、当時の情勢や状況等を加味しながら、少し補足を加えて書きました。
 この書状は、「征韓論争」の影響で、西郷に続いて政府を下野した下士官達の免官が未だ進んでいないことを西郷が憂慮し、そのことについて篠原に調査依頼を求めたものです。

 明治6(1873)年10月、西郷は「明治六年の政変」と呼ばれる、いわゆる「征韓論争」に敗れて、陸軍大将近衛都督兼参議の職を辞し、故郷鹿児島へと帰郷したのですが、その西郷の後を追うかのように、当時の近衛兵を始めとする陸海軍の旧薩摩藩出身の士官の多くが、同じく辞職して鹿児島へと戻りました。
 このように西郷の辞職は、多数の士官達が一気に辞職する騒動へと発展したため、時の明治政府は混乱が起こることを避けるべく、辞職願を提出した下士官の多くについては辞職を許可せず、非役扱いに留める処置を行ないました。
 つまり、政府は欠員が多数生じて混乱が生じることを避けるため、既に辞職願を提出して鹿児島に帰郷し、実際は勤務していない状態であるにもかかわらず、下士官達の職だけはそのままにして置いたというわけです。

 このような特別処置が行なわれたため、辞職願を提出して鹿児島に帰郷していたはずの下士官達の給与が、依然政府から引き続き支給され、鹿児島県庁に対して送金されていました。西郷はそのことを非常に憂慮していたようです。
 明治7(1874)年10月30日のことですが、西郷は鹿児島県庁を通じて送金されてくる給与の返還を政府に対して願い出る口上書を書き、それに166名の辞職した下士官達が署名し、最終的に政府に対し給与を返還しています。国家財政が多難な折、仕事もしていない自分達に給与が支払われている現状を西郷は良しとはせず、常に憂いていたというわけです。
 しかしながら、明治8(1875)年に入っても、給与の送金が依然として続いていたため、西郷は正確に下士官達の免官の手続きが進んでいるのかを心配し、年末には当時東京に居た陸軍関係者の大山弥助(巌)に対して手紙を送り、そして篠原に対しては、免官が済んでいる者と済んでいない者を県庁において調査してもらおうと考えたのです。

 以上がこの西郷隆盛の新発見書状が書かれた背景です。
 このような当時の状況を念頭に置きながら、この西郷隆盛の書状を見ると、より一層味わい深いものになるのではないでしょうか。
 ただ、残念なことに、宮崎県総合博物館に確認したところ、現在この西郷隆盛の書状は、常設展においては展示されていないとのことです。
 しかしながら、西郷隆盛や西南戦争関係の特別展が企画される際には展示される予定もあるということですので、次回公開された際には是非ご覧になって頂きたい逸品です。







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