「激動の明治維新」ポスター




薩摩旅行記(11)「『激動の明治維新』見学A−坂本龍馬による薩長同盟覚書−」
 第V部「西洋との衝突と接近」は、日本や薩摩藩に起こった対外関係の様々な出来事、薩摩藩で言うならば、「生麦事件」、「薩英戦争」、「イギリスへの留学生派遣」など、諸外国との戦争や交流にスポットを当てた展示内容となっていました。
 そして、この第V部での見所は、全部で五種類展示されていた薩英戦争を描いた絵巻物と言えるでしょう。
 特に、その中でのメインは、最近黎明館において収蔵された


『文久三年癸亥七月鹿児島湾英艦戦争之図』


 です。
 今まで薩英戦争を描いた絵巻物については、尚古集成館、鹿児島県立図書館、鹿児島市維新ふるさと館の三つの機関の収蔵品が確認されていたのですが、今回、黎明館にも新たに薩英戦争の絵巻物が収蔵品の一つとして加わりました。
 黎明館が収蔵した絵巻物は、絵自体の素晴らしさもさることながら、薩英戦争の戦いの経緯が、絵巻物の中に文字として記されていることが一つの特徴です。この絵巻物に記された文字を読むことによって、薩英戦争がどのような形で推移していったのかがある程度分かる仕組みになっています。

 今回の『激動の明治維新』においては、黎明館の新たな収蔵品に加え、尚古集成館、鹿児島県立図書館、鹿児島市維新ふるさと館の収蔵品、そして絵師・平山東岳の描いたものを合わせて、計五点の薩英戦争絵巻が展示されていました。
 絵というものは描く人によって様々な特徴が出るものですから、それらを見比べながら、この薩英戦争の絵巻物を鑑賞するのも一興と言えるのではないでしょうか。
 今年(2003年)は、薩英戦争からちょうど140年経った区切りの年です。
 このような素晴らしい絵に囲まれながら、薩英戦争当時の様子を見ることが出来たのは、私にとっては非常に貴重な体験でした。また、薩英戦争の戦闘の激しさを身に染みて感じられたような気がしました。

 そして、最後に第W部「薩摩藩と明治維新」ですが、ここにはほんとうに素晴らしい展示品がいくつもありまして、どれを紹介すれば良いのか迷ってしまうほどなのですが、ここでは二点の貴重な史料をご紹介いたしましょう。

 まずは、一点目。
 今回の『激動の明治維新』を見に行かれた方で、これを一番見たいと思われてお出かけになられた方も多いのではないでしょうか。
 それは、慶応2(1866)年1月23日付けで書かれた


『桂小五郎の坂本龍馬宛書簡』


 です。
 この書簡は一般的に『薩長同盟覚書』と呼ばれている史料で、一度は歴史関係の本などでその写真をご覧になったことがあるのではないでしょうか。
 慶応2(1866)年1月20日、薩摩藩と長州藩との間で「薩長同盟」が締結されました。
 しかしながら、これは正式に文書を取り交わした盟約ではなかったため、長州藩側の代表であった桂小五郎(後の木戸孝允)は、同盟締結後、その内容を六箇条にしてまとめ、薩長同盟締結の場に立ち会ったとされる土佐脱藩浪士の坂本龍馬に、その内容の最終確認を求めました。
 つまり、桂は坂本に対し、今回の同盟の内容の確認とその保証を求めたのです。
 桂からの書簡を受け取った坂本は、その内容を確認し、書簡の裏側に朱書きで、


「毛も相違これ無く候(この内容で間違いありません)」


 と書いて、桂に送り返しました。
 これが『薩長同盟覚書』と呼ばれているものです。つまり、坂本龍馬は薩長同盟の保証人とも呼べる存在であったと言えるでしょう。

 先程も少し触れましたが、「薩長同盟」に関しては、正式な盟約書というものが存在しておらず、この坂本龍馬の裏書きがなされている桂小五郎の書簡のみが「薩長同盟」の内容を唯一窺い知ることが出来る貴重な史料となっています。
 また、この『薩長同盟覚書』については、その現物が博物館で展示されるのは非常に珍しいことです。私の聞いたところでは過去に一度だけ現物が展示されたことがあるらしく、通常博物館等で実施されている特別展や常設展では、複製や写真パネルで展示されていることがほとんどなのです。
 今回、このような貴重な史料の現物を生で見ることが出来たのは、歴史ファンにとっては、ほんとうにありがたい事ですし、何よりも嬉しいことですよね。
 また、今回の展示では、黎明館の吉満学芸専門員が見学者の気持ちに配慮して、非常に工夫された展示方法をとっておられました。

 先程から書いてきましたが、この『薩長同盟覚書』には、表の桂の筆跡と裏の龍馬の筆跡の二つの見所があるわけですから、普通の展示物のように、台の上に書簡を置いて展示したのでは、龍馬の裏書きを見ることが出来ません。かと言って、書簡を裏返して展示してしまっては、この書簡の価値自体が何であるのかが分からなくなってしまいます。
 そのため、黎明館の吉満学芸専門員が、この書簡を普通の台に置くのではなく、左右に書簡を乗せる高い台を二つ立て、その上に書簡を橋渡しするように置き、その両端を固定して展示することを考えられました。つまり、川に橋をかけるようにして書簡を展示することによって、龍馬の裏書き部分を下からも覗くことが出来るし、なおかつ桂の表部分の文章も見ることが出来るという仕掛けになっていたのです。非常によく考えられた展示方法ですよね。
 また、この展示にはもう一つ工夫がなされていました。龍馬の裏書き部分がちゃんと上からも見えるように、裏書き部分の下に大きな一枚の鏡が置かれていました。これにより、上からは桂の書簡を見ることができ、わざわざ下から覗きこまなくても、下の鏡からは龍馬の裏書きを見ることが出来るようになっていたのです。ほんとうに素晴らしいとしか言いようの無い工夫と配慮だと思います。

 また、『薩長同盟覚書』の現物を初めて見て分かったのですが、龍馬の裏書きがある部分だけ、ポッカリと穴を開けて表装されていました。私は「なるほど〜」と妙に感心してしまいました。
 普通の書簡であれば、裏側に糊をつけて全て表装するのですが、この書簡に関してはその裏にも非常に価値のあるものが書かれているので、同じように表装するわけにはいかなかったのです。そのため、龍馬の裏書き部分だけ穴を開けて見られるようにしたのです。
 こういうことも実際に現物の史料を見なければ分からなかったことです。このような貴重な史料の現物が数多く展示されている点からみても、今回の『激動の明治維新』の素晴らしさを改めて再確認した次第です。




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