山内容堂邸宅跡
山内容堂邸宅跡(高知県高知市)




(第11回「容堂と雪舟画」)
 現在、京都国立博物館において『特別陳列 新撰組』という特別展が開催されている。
 来年のNHK大河ドラマでは『新撰組』が放映予定なので、それを見越した企画だと思われるが、これから来年にかけて、京都ではこのような幕末関連の特別展が数多く開かれることになるであろう。
 新撰組関係の史料も非常に興味深いものがあるが、京都国立博物館には、室町時代の画僧として有名な雪舟が書いた『天橋立図』という一つの水墨画が収蔵されている。ご存知の通り、天橋立は「日本三景」の一つとして数えられ、現在もたくさんの観光客で賑わう有名な観光名所であり、雪舟は日本における水墨画の開祖と言われる著名な歴史上の人物である。

 雪舟の『天橋立図』は、現在は「国宝」として指定され、京都国立博物館の収蔵品を代表する逸品として大切に保管されているのだが、この『天橋立図』については、非常に興味深い一つの逸話が残されている。
 実は雪舟の『天橋立図』は、元は土佐藩主山内家の収蔵品であったのだが、戦後故あって京都国立博物館のものとなった。江戸時代を通じて、山内家ではこの『天橋立図』を非常に大切に保管しており、夏に行なわれる土用干しの際にも、この画に限っては三日間の不寝番をつけるしきたりになっていたほどである。
 その土用干しが行なわれたある夜のこと。
 当時、土佐藩主であった山内容堂が、たまたま『天橋立図』を守るためにつけられていた不寝番の近くを通りかかった。容堂は『天橋立図』に不寝番がつけられる藩の先例を知らなかったらしく、近習者に対して、

「あれは一体何をしている者か?」

 とたずねた。
 近習者が「あれは雪舟の画の番をしている者にございます」とその理由を説明すると、容堂は自らの居室に戻るや、紙と筆を取り出し、一文を草して、それを藩の重役に渡すように命じた。
 その紙片には、次のような短い漢文が書かれていた。


「使汝不眠者余之罪也(汝を眠らざらしむるのは余の罪なり)」


 容堂はその短い漢文に、

「水墨画一つに不寝番を三日もつけるなど、そんな古いしきたりは止めるように」

 という意を暗に含んで、そう書いたのである。
 この一件以後、山内家では『天橋立図』に不寝番はつけられることがなかったと、旧土佐藩士であった細川潤次郎が明治になって語り残している。いかにも稀代の風流人であった山内容堂らしい逸話だと言えよう。

 幕末とは無縁のものと思われる室町時代の雪舟画に、このような逸話が隠されているのは、後世に生きる我々に対し、歴史の面白味や醍醐味を感じさせてくれる。この逸話を念頭に置きながら『天橋立図』を眺めるのも、一興と言えるのではないだろうか。

(本文は平成15年9月に執筆したものです)




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