高杉晋作療養之地(山口県下関市)




(第12回「梅と桜 −高杉晋作の生涯−」)
 幕末の長州藩に一人の英雄がいました。
 長州藩が窮地に陥った時、その危機を救うべく颯爽と表舞台に登場し、そしていつも風のように去っていった英雄。

 それが高杉晋作です。

 四ヵ国連合艦隊との講和談判、功山寺の挙兵、そして第二次長州征伐(四境戦争)、晋作は長州藩に襲いかかった数々の危機を自らの手で救ってきました。高杉晋作という一人の英雄がいなければ、長州藩の明治維新は無かったと言えるかもしれません。

 しかし、幕末という時代を力強く生き抜いた晋作も、最後は肺結核という病魔には勝てず、慶応3(1867)年4月13日、下関でこの世を去りました。
 享年29歳という若さでした。

 晋作は生前、病状が日増しに重くなっていく中、次のような漢詩を詠んでいます。


軽暖軽寒春色晴(軽暖軽寒春色晴る)
閑吟独向小門行(閑吟して独り小門(おど)に向かって行く)
梅花凋落桜猶早(梅花は凋落し桜はなお早し)
窓外唯聴夕棹声(窓の外ただ夕棹の声を聴くのみ)

「少し暖かく、少し肌寒い」そんな春を感じさせてくれる晴れの日である。
僕は独り静かに詩を吟じながら、小門という海峡の方に身を向けてみた。
外を見ると、梅の花はもう散ってしまっているが、桜の花はまだ咲いていない。
また、窓から耳を傾けると、夕暮れの海を渡る舟の棹の音だけが静かに聴こえている。



 晋作は、散ってしまった梅の花をどのような気持ちで見つめたのでしょうか。そして、まだ咲いてもいない桜の姿をどのように感じたのでしょうか。
 晋作にとっては、散ってしまった梅の花びらは、もう残り少ない命となった我が身と同じように見えたのかもしれません。
 また、まだ咲いていない桜の花に、晋作はこれからやって来る新しい時代の幕開けを重なり感じたのではないでしょうか。
 華麗に輝き、そして散っていった高杉晋作の生涯は、まさに梅の花に象徴されるように、一つの儚い花の生涯であったと言えるでしょう。




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