(画像)中岡慎太郎生家
中岡慎太郎生家(高知県安芸郡北川村)




(第6回「夢と現実の狭間で −中岡慎太郎の手紙から−」)
 幕末という時代は、二百年以上にも及ぶ鎖国制度が崩壊した時代でもありました。
 幕府と諸外国との間で和親条約や通商条約が締結されると、横浜や長崎に外国船が頻繁に入港するようになり、密航という形で海外渡航を計画する者が数多く出てきました。横浜からイギリスへ密航した長州藩の井上聞多(馨)や伊藤俊輔(博文)も、そんな海外渡航を志した人達の中の一人です。
 ただ、海外渡航を夢見ながらも、結局その夢を果たせず、その生涯を終えた者も数少なくありません。長州藩の吉田松陰は下田でアメリカのペリーの軍艦に乗り込み、外国への密航を計画しましたが、結局失敗に終わりました。また、その弟子である高杉晋作もまた、海外への留学を志しながらも、その夢を果たせず、志半ばで不治の病に倒れました。

「遠い異国の町の様子や制度をこの目で実際に見てみたい……」

 幕末の志士達の間では、海外渡航や留学というものは、憧れや夢の一つであったのです。
 土佐国安芸郡北川郷という非常に山深い片田舎で生まれ育ち、後に藩を脱藩して国事に奔走した中岡慎太郎(なかおかしんたろう)もまた、遠く異国の地に夢を持った人物の一人でした。

 慎太郎の海外渡航への夢は余り世に知られていませんが、慶応元(1865)年9月30日、彼は故郷で暮らす家族宛に一通の手紙をしたためています。
 その手紙の中には次のように書かれています。


「先頃之思惑にては外国へ参り申度相心得居申候」
(最近の考えとしましては、私は外国へ行きたいと思っています)



 海外渡航の夢と言うと、どうしても共に薩長同盟に奔走した同志の坂本龍馬を思い浮かべられる方が多いかもしれませんが、慎太郎の心の中にも、
「外国へ行ってみたい・・・」
 という強い思いが存在していたのです。
 慎太郎は、密航という形でイギリス留学を経験していた長州藩の井上聞多や伊藤俊輔から、外国の町の様子や制度、文化の話を聞いている内に、いつしか自分も海外に出て、多くの知識を学びたいと思うようになっていました。
 そして、いつしかその思いは大きな夢へと変わり、同じ土佐脱藩の同志である田中顕助と共に、具体的に外国渡航への計画を練り始めたのです。
 しかしながら、その慎太郎の海外への大きな夢は、結局叶うことがありませんでした。
 慎太郎はそのことについて次のように書いています。


「此節又段々用事出来仕候而先々外国行もやまりに相成申候」
(最近、また色々と用事が出来てしまい、先々に計画していた外国への渡航計画も中止になってしまいました)



 当時の慎太郎は、非常に重要な局面を迎えつつあった薩長同盟締結に向けての下準備に追われ、非常に忙しい毎日を送っていたため、海外渡航を中止せざるを得なくなったと書いています。
 ただ、慎太郎が海外渡航を断念した理由は、国事に多忙であるという理由からだけではなかったのではないかと思います。彼が海外渡航の夢に向かって突き進むことが出来なかったのは、郷里に残してきた家族への思いからではなかったでしょうか。
 慎太郎の手紙の後半部分には、その彼の複雑な思いがにじみ出ています。彼は海外渡航への夢について語った後、次のように手紙に書いています。


「兄上様にも色々と御心痛成され候事と幾重も幾重も察し上げ奉り候、何事も私之不孝よりと思召されん事なれ共、かかる時勢に生れ候儀故と、御あきらめ成され下され度願い奉り候」
(兄上様には色々とご心痛ばかりおかけしている事はよくよく私も察しております。そして、これらは全て私の不孝から出ているということもよく分かっております。ただ、現在このような国が滅びんばかりの緊迫した時勢に生まれてしまった身であるが故と、諦めて頂ければと願うよりは他はありません)



 時勢だとは言え、父や兄、妻を国元に残し、国事に奔走している自分の姿を省みると、慎太郎は家族にかけている心配や迷惑を考えずにはいられなかったのではないでしょうか。
 高い志であるとは言え、自分の我がままを通して脱藩し、故郷に残してきた家族に多大な迷惑をかけていることに対しての申し訳無さや謝罪の意が、この文面からにじみ出ているのではないかと思います。
 慎太郎としては、郷里に残してきた家族がどれだけ自分のことを心配し、そして、どれほど大きな苦労をかけているかという現実を知りながら、夢だからと言って、外国渡航というさらに大きな夢に自らを突き動かすことを、慎太郎自身の心が許さなかったのではないでしょうか。

 慎太郎が外国渡航という大きな夢を唯一記した手紙の中に、同時に家族への謝罪の一文を書き、そして海外渡航を断念したのは、そういった複雑な気持ちが彼の心の中にあったからだと、私には感じられてならないのです。
 夢と現実……。
 この二つの狭間で大きく揺れ動いた中岡慎太郎の心の中は、生まれ育った故郷を捨て、脱藩して国事に奔走した幕末の志士達全ての心情にも、同じく相通じるような気が私にはするのです。




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