「世良修蔵暗殺事件の周辺」
-奥羽鎮撫総督府の結成から世良暗殺まで-


(画像)客自軒
客自軒(福島県福島市)



(12)「客自軒」を訪ねて−「世良修蔵暗殺事件」ゆかりの地を行く@−
 平成15年8月23日(土)。
 この日、私は「世良修蔵暗殺事件」の現場となった福島県福島市を訪ねました。
 JR福島駅で下車した私は、まずは福島交通バスに乗り換え、『福島市民家園』へと向かいました。
 福島市民家園は、福島県内に建てられていた伝統ある貴重な建築物を移設・保存している施設で、昭和57年8月に「福島県あづま総合運動公園」内に開園されたものです。
 福島に着いた私が、真っ先にこの福島市民家園を訪れた理由は、この民家園内に世良修蔵暗殺事件に非常にゆかりの深い建物が移築されているからです。
 それは本文中にも何度も登場しましたが、世良襲撃の実質的な指揮官であった仙台藩士・瀬上主膳の定宿であり、世良暗殺計画の密議が行なわれ、金沢屋で捕縛された世良が尋問を受けた「客自軒」です。

 客自軒が福島城下の有名な鰻料理を出す料亭であったことは、前回の(11)で詳しく書きましたが、大村三良氏の「客自軒のあゆみ」によると、明治期に入り、客自軒は井上家から持ち主が変わり、その名を一時「三河楼」と改められ、最終的に「紅葉館」と名を変えて、割烹旅館として長い間営業されていました。
 この紅葉館という名は、福島県田村郡三春町出身の自由民権運動家・河野広中(こうのひろなか)が、客自軒を訪れた際に、客自軒の主人の求めに応じて、中庭にあった紅葉(もみじ)の木を見て、その名を「紅葉館」と名付けたと伝えられています。

 明治に入って後、全国的に展開された「自由民権運動」に関しては、福島県の三春町は土佐の高知県と並んで、

「西の土佐、東の三春」

 と称され、東日本の自由民権運動の中心地として、その名を歴史上に留めました。
 現在の福島県田村郡三春町からは、河野広中を筆頭に多数の自由民権運動家が輩出され、明治14(1881)年12月21日には、板垣退助を総理として結党された「自由党」の福島支部として「自由党福島部」が結成され、明治中期に入ってからは、福島県の各地において自由民権運動が活発に行なわれました。
 これら福島県の自由民権運動に関連して起こったのが、「福島事件」や「喜多方事件」というもので、これらの事件の名を一度は耳にしたことのある方も多いのではないでしょうか。

 紅葉館と名を変えるまでの客自軒は、明治11(1878)年に行なわれた民会規則による福島町議員選挙の投票所にも選ばれ、また、明治15(1882)年5月20日には、河野広中が中心となって結成した自由党福島部の第一回定期会の会場としても使用されました。
 このように、客自軒は河野広中や福島県の自由民権運動に非常に縁の深い建物であったので、河野は「紅葉館」の名付け親になったのではないかと思います。
 その後、この紅葉館は下宿屋として昭和年代まで長年使用されていたのですが、建物の老巧化が進み、建物の痛みも激しくなったため、昭和61年に解体された後、平成4年8月に福島市民家園に移設・復元され、現在は福島市指定有形文化財に指定されて、一般公開されているのです。


 JR福島駅から福島交通バスに乗り約35分。
 「室石」というバス停で下車した私は、そこから徒歩で約10分かけて『福島市民家園』へと向かいました。
 福島市民家園には、客自軒の他にも、江戸時代から明治時代にかけて建造された貴重な建築物が数多く移築され、建物が建てられた当時の模様が正確に再現されています。
 木々や草花に囲まれた緑一杯の空間の中に建つ伝統深い貴重な建築物を見ていると、往時を偲びながら、とても落ち着いた雰囲気を味わうことが出来ます。

 鮮やかに色づく花。
 眩しいほど光り輝く緑の木々。
 そして、伝統ある建築物から醸し出される重厚な佇まい……。

 これらのコントラストが、何とも言えない素晴らしい空間を作り出しています。

 自然一杯の園内を奥へと進んでいった私は、いよいよ今回の目的である「客自軒」の前にやってきました。

「ここが客自軒か……」

 私は思わずそう呟きました。
 この客自軒で世良襲撃のための具体的な計画が練られ、そして金沢屋で捕縛された世良修蔵は、この客自軒の庭先に連れ込まれて尋問を受けたのです。そう考えると、とても感慨深いものの他に、とても切ない気持ちが胸にわいてきたことを今でも覚えています。
 歴史というものは、時に非情な運命を導き出すものと感じられてなりません。

 客自軒の間取りについては、庄司重男著『浅草宇一郎伝』の中で、次のように描かれています。

「間口六間、玄関幅二間で、はいると一間幅の階段で二階に上がる。階下は勝手の次ぎに座敷が二つ、座敷にそって廊下を進むと、左へカギ形に折れて奥座敷、二タ間つづきでここが瀬上と従士の部屋だ。勿論各自軒最高の部屋である」
(庄司重男著『浅草宇一郎伝』より抜粋)


 私が客自軒の間取りを確認していると、民間ボランティアを務めておられる一人の男性が私に声をかけてきました。色々とお話を伺っていると、そのボランティアの方が、

「河野広中が客自軒を「紅葉館」と名付けるきっかけとなった『もみじの木』がそれです」

 と中庭に立つ一本のもみじの木を指差してくれました。

 季節はまだ夏。

 当然、そのもみじの木は赤く色づいておらず、青々とした緑の葉を風に揺らせながら静かに立っていました。

(秋になると、この紅葉もさぞかし綺麗に色づくのだろうな……)

 私は心の中でそう呟きました。
 河野広中が「紅葉館」と名付けたくらいですから、このもみじの木は、秋にはとても綺麗な赤色に紅葉するのでしょう。そんな想像を楽しみながら、私は時が過ぎ去るのを忘れて、いつまでもその「もみじの木」を眺めていたのです。


(13)に続く


(史跡巡りガイド)
<名所>「福島市民家園」
<住所>〒960-2155福島県上名倉字大石前地内「福島県あづま総合運動公園」内
<電話>0245−93−5249
<アクセス>
JR福島駅から、タクシーで約30分。
JR福島駅から、福島交通バス「佐原行き」もしくは「佐原経由四季の里行き」で約35分。
「室石」バス停下車後、徒歩約15分。
<開園時間>
午前9時30分から午後4時まで。
休園日は毎週火曜日(火曜日が祝日の場合はその翌日)。
入園料は大人300円、小中学生100円。



次へ
(13)「長楽寺」を訪ねて
−「世良修蔵暗殺事件」ゆかりの地を行くA−



戻る
(11)「金沢屋」、「客自軒」のこと



「テーマ」随筆トップへ戻る